当ブログではたびたびリストについての記事を掲載しています。
特に製薬会社のリストラを扱うことが多いのですが、それには理由があります。
私自身がその業界に長いことと、リストラのやり方があまりに稚拙だからです。
少しこの点について持論を述べましょう。
毎年のように行われるリストラは社員や経営に効果的なのか?
外資の某メーカーをはじめとするいくつかの企業では、公表はされないものの、実質上毎年の如くリストラを実行しています。
社員は「またか」、「次はどの部署だ?」と心ここに在らずの状況と聞きます。
また某日本の大手製薬企業は数年にわたり順次社員数を減らすことをアナウンスしています。
一度に多くの社員を解雇すれば退職一時金が増えて、その年の決算に大きなマイナス要因になることは理解できます。
しかし、蛇の生殺し状態で働かされる社員はどのような心境になるでしょうか?
嫌なら、リストラを言い渡される前に自分からやめればいい。そのような思惑があるのでしょうか?
そうすれば会社としては早期退職制度に基づいた特別退職金を支払わなくて済みます。
社員の方もそのことは十分承知。なので自ら辞める社員は多くありません。
しかし、「優秀な社員」ほど、そのような特別退職金などには目もくれず、自分の人生のための自らからの選択として会社を去っているようです。
見るからに、このような優柔不断的リストラは会社と社員双方に大きな害をもたらしているのではないでしょうか?
会社は優秀な社員を失い、モチベーションの低下した社員と、ぶら下がり社員だけになる。
社員は生きがいを失い、大事な人生を台無しにしかねない。
古代のマキャベリに見る現代のリストラの幼稚性
あなたはマキャベリをご存知でしょうか?
イタリア、ルネサンス期の政治思想家です。
何でマキャベリ?と思われるかもしれませんね。
ですが人間というものは、古くからからそれほど変わっているわけではなく、その時代に考えられたこと今でも通用することが多いのです。
特に人間の本質や真理を捉えた哲学や心理学は今でも通じるものが多いと思います。
ところで、リストは非道徳的でしょうか?
必ず時も道徳の問題ではないようにも思えます。
しかし同時に、会社を生活のよりどころとして生きていきた社員を、会社が生き残るためだという理由で解雇するのならば、非道徳的とも言えるのではないでしょうか?
そこでマキャベリです。
彼は、「より良い統治のためには、非道徳的な行為も許される」と論じています。
これは国を治める際の君主のあり方についての考え方ですので、そのまま企業経営に当てはめるべきではないという方もいらっしゃるかもしれませんが、彼の「君主論」はいまだに多くの経営者に愛読されています。
ここで大事なことは、良い統治のためにはという前提ですが、良い統治を良い経営と読み替えてみてはどうでしょうか?
上述の如く、毎年のようにだらだらと経営指標のためにリストラを繰り返して、社員のやる気をなくし、忠誠心を削いで、経営者と社員の関係は単なる利害関係のみになる状況は、良い経営と言えるでしょうか?
これから誰とは言えないが、向こう数年で順番に首にするけど、我慢してねというのは、良い経営でしょうか?
マキャベリは太古の時代にあっても、「やるなら一気苛成に断行せよ!だらだらやっていると恨みや憎しみを買い国を危うくする」と述べています。
まとめ
私が愛した製薬産業(今でも愛していますが)が喘いているのを見るのは忍び難い。
しかし、問題は産業構造の変化ではなく、経営者の資質だと思っています。
製薬産業の中にも立派に経営されている優秀な経営者はいくらでもいます。
例えば、国内企業では小野薬品や塩野義などは素晴らしいと思います。
おそらく、社員も胸を張って生きていらっしゃのるではないでしょうか?
その一方で、超大手の某企業では、例の買収騒ぎもあり社員の気もそぞろ。かつての名門の勢いもなくなり、社員が迷走し出していると聞きます。
企業は経営者次第です。
いくら優秀な社員がいても、経営者に資質が欠如していれば、未来はありません。
社員では会社は動かせないのです。
人生は一度きりです。
あなたの状況をよくよく分析して、人生を充実させてください。
あなたがその企業で働いているのは、あたながそれを選択したからです。
自分の人生は自分の選択できまる、私はそう信じて生きています。
You are the master of your life!